ピッチ上のアーティスト 〜ファンタジスタが織りなす一瞬の芸術〜

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パブロ・アイマール
Pablo Aimar

国籍 アルゼンチン
誕生日 1979年11月3日
愛称 エル・パジャリ(ピエロ)


ゲームメーカーとして必要な、パス、ドリブル、シュートを兼ね揃えた選手である。

その創造性豊かなプレースタイルは、かのディエゴ・マラドーナもが天才だと認め、「今唯一お金を払ってプレーを見たい選手だ」と言うほどファンタジーに満ちている。

ゴール数こそ少ないが、2列目からの飛び出し、正確無比なスルーパス、巧みなボールタッチからのドリブル突破など、チャンスメイクに輝きを見せる。

1996年にアルゼンチンプロサッカーリーグの名門リーベル・プレートで弱冠16歳にしてデビュー。

当時からその才能は高く評価されており、1999-2000シーズンにはMFながら12得点を上げ、前後期のリーグ優勝に貢献した。2001年1月、約25億円の移籍金でスペインのバレンシアCFに移籍。

2001-2002シーズンのリーグ優勝およびUEFAチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。

2003-2004シーズンには再びリーグ優勝、そしてUEFAカップ優勝の2冠を達成したチームの中心的存在として活躍した。

しかし、2004-2005シーズンにクラウディオ・ラニエリが監督に就任してからは、本来以外のポジションでプレーさせられたり、先発メンバーを外れることが多くなったりと不遇の時を過ごした。

しかし同シーズンにチームの不振からラニエリが退任し、アントニオ・ロペスが監督に就任した後は、アイマールを中心に据える戦術で、彼やチームは再び輝きを取り戻した。

2005-2006シーズンは負傷やキケ・サンチェス・フローレス監督の起用法の影響からか、本来のプレーを発揮するに至らず、2006年7月に同リーグのレアル・サラゴサへ移籍した。


アルゼンチン代表としての経歴はユース時代に遡る。

各世代での華々しい活躍は1995年のFIFA U-17世界選手権で3位、1997年にはU‐20南米選手権およびFIFAワールドユース選手権優勝など、広く知られるところである。

フル代表では、1999年6月9日のメキシコ戦で初出場。2002年の日韓W杯にも3試合出場したが、あえなく1次リーグで敗退した。

また、2006年に行われたドイツW杯は絶対的な存在であったファン・ロマン・リケルメの控えという立場から出場機会は少なく、チームもベスト8で敗退した。

甘いマスクの持ち主でもあり女性には大変な人気を誇るが、既に本人は22歳で幼馴染のアナさんと結婚して長女がいる。

また、弟のアンドレス・アイマールもサッカー選手。ハビエル・サビオラはリーベル時代からの大の親友であり、リケルメとも非常に仲が良い。

余談であるが、2004年にはバレンシアCFの一員として来日、新潟県でJリーグのアルビレックス新潟と親善試合を行った際、同県を中心に被災者を出した水害や中越地震に心を痛め、義援金を出したことで有名である。

この時の試合は5-2でアルビレックス新潟が勝利しているが、アイマール自身は負傷のため試合には出場しなかった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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▽2007.1.26 update
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ディエゴ・マラドーナもが天才だと認めたアイマール。
いやもう、ファンタジスタです。
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