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ルイス・フィーゴ
Luis Figo
国籍 ポルトガル誕生日 1972年11月4日
愛称 白豹
稀代のドリブラー。ドリブルはスピードに乗った状態から相手のタイミングを外し抜き去っていく。
鋭いカーブのかかった正確なセンタリングを上げ、プレースキックも得意とする。
ポルトガル代表では大舞台でなかなか運に恵まれないが、リーガ・エスパニョーラでは指折りのスーパースターであった。
ポルトガルの強豪クラブ、スポルティング・リスボンでキャリアをスタート。
ポルトガルのFIFAワールドユース選手権V2時の主力メンバーであり、ルイ・コスタ、パウロ・ソウザ、フェルナンド・コウト、セルジオ・コンセイソン、ジョアン・ピント等と共にポルトガルの将来を担うであろう「ゴールデン・ジェネレーション(黄金の世代)」と呼ばれた。
1995年にスペインのバルセロナへ移籍。その破壊力抜群の突破力とチャンスメイクで右サイドを支配し、国内外の数々のタイトルを獲得する原動力となり、ドリームチーム(1988年-1996年のヨハン・クライフ監督時代)以降のバルセロナのシンボルとして絶大な人気を得る。また自身も2000年の欧州年間最優秀選手を受賞。
2000年にバルセロナからライバルチーム、レアル・マドリードへ電撃移籍。これに反発したバルセロナ・サポーターが、フィーゴ自身が経営するバルセロナ市内の日本料理店を破壊するという大変な騒動にまで発展した。
過去にもミカエル・ラウドルップやベルント・シュスターなどバルセロナからレアル・マドリードに移籍した選手はいた。
しかしフィーゴは移籍の2日前に会見でファンに向けて「移籍は無い」と嘘の発言をし、また、移籍の理由が年俸が多いという理由のみであり、バルセロナのソシオの信頼を踏みにじったまさしく裏切りといえる移籍であった。
そのためマドリードを去った今も尚、ペセテーロ(守銭奴)と呼び彼を許さないとするバルセロニスタが圧倒的である。
また、バルセロナのホームスタジアム、カンプ・ノウに初めて乗り込んだ試合ではフィーゴがボールに触れれば即ブーイングが起き、フィーゴがコーナーキックを蹴ろうとすればスタンドからビンやゴミやペットボトル、さらには豚の顔の皮まで投げ入れられるなどして、約10分間試合が中断されるなど荒れに荒れた。
結果は2-0でバルセロナが勝利し、試合後には宿敵レアル・マドリードと裏切り者のフィーゴを倒したという事もあり、ほとんどのバルセロナの選手がフィーゴに声をかけに行くシーンが印象的であった。
伝統的なライバル間の移籍という大きなプレッシャーの中、レアル・マドリードの黄金期の中心選手となり、自身も2001年にはFIFA最優秀選手賞を受賞した。尚、フィーゴ以降のレアル・マドリードはスター獲得でのクラブ強化に重点を置いている。
また同チーム在籍中にはリーガ通算100アシストという記録も成し遂げている。
2004-2005シーズン開幕前にチームから契約更新の意思はないと伝えられ、2005-2006シーズンからはインテルでプレーしている。レアル・マドリード時代は限界説が囁かれたがその能力は未だ健在で、セリエAでもUEFAチャンピオンズリーグでも中盤の右サイドで活躍している。
2006 FIFAワールドカップ予選においてポルトガル代表に復帰。 ポルトガル代表は快進撃を続け、無敗で予選通過。40年ぶりのベスト4進出に貢献した。 FIFAワールドカップ2006ドイツ大会リーグ初戦のアンゴラ戦では得意のドリブルから絶妙なアシストを見せた。 その後ドイツとの3位決定戦を最後に代表から引退したものの、今後も別の形で代表に携わっていきたいと語っている。
2006年12月にサウジ・プレミアリーグの強豪アル・イテハドへのレンタル移籍が発表されたが、インテル側が否定しているため詳細は不明のままである。しかし1月の初めに、8月からアル・イテハドへの移籍が決まった。
ちなみにフィーゴの好物は寿司。バルセロナに日本食屋を出店したほど。来日するたびにいつも寿司を食べている。 語学にも堪能で、母国語、英語、スペイン語、スウェーデン語、イタリア語などが扱える。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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