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三浦知良
Kazuyoshi Miura
国籍 日本誕生日 1967年2月26日
愛称 カズ、キング・カズ
ブラジル時代は細身の体を生かして、キレのあるドリブル突破でウイングとして活躍。ファンの間では、カズのブラジル代表への帰化を望む声もあったほど。
ブラジルより帰国後は、フィジカル面で一皮剥け、カズ・フェイント(リベリーノというブラジル代表選手のフェイントをアレンジしたもの)と称された独特のフェイントを駆使したドリブル突破はサポーターを魅了した。
しかし現代サッカーが、ラモス瑠偉に代表されるゲームメーカーが個人技を駆使して局面を打開するブラジル様式から、少ないタッチ数でボールを回し、組織で局面を打開することを基調とするヨーロッパ様式へと変化したことにより、彼の個人技をアピールする場は減ってしまった。
代表やクラブで全盛期を迎えていた頃からのメンタリティの強靱さは健在。現在Jリーグでベテランらしい読み、熟練した体の使い方等は若手選手の模範と言える。
得点の減少により出場時間は大幅に減ったものの、本職であったチャンスメーカー的な役割を担い前線で積極的にプレスを掛け守備を安定させる役割を務めている。
15才でブラジル、CAジュベントスへ留学。
1986年2月、サントスFCとプロ契約。
1部リーグ2試合に出場し、5月にはパルメイラスと特別契約を結び日本でのキリンカップで凱旋帰国を果たす。
1990年7月、Jリーグ発足が現実味を増す中、プロサッカー選手の代名詞の様な存在として帰国を果たす。
日本リーグ・読売クラブ(ヴェルディ川崎 = 現東京ヴェルディ1969の前身)に移籍した。
クラブではラモス瑠偉、北澤豪、武田修宏、ビスマルク、柱谷哲二らその他多くのチームメイトに恵まれ、ヴェルディの黄金期を築いた。
1993年、日本人最高の20得点を記録しヴェルディ川崎を初代チャンピオンに導き、Jリーグ初代MVPを受賞した。
プロとして築いた数々のキャリアを引っ提げて、1994年にはイタリア・セリエAのジェノアに期限付移籍し、アジア人初のセリエAプレーヤーとなった。
ACミランとのセリエAデビュー戦において、フランコ・バレージとプレー中に激突。その際に鼻骨を骨折してしまい、一ヶ月戦線離脱を余儀なくされた。
復帰後も、日本代表の招集により、ジェノアを後にしなければならない事情も重なり、シーズンで1ゴールを記録するに留まった。それは「カルチョは日本人には無理」という固定概念を植え付けられる原因にもなった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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