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ラモス瑠偉
Ruy Ramos
国籍 日本誕生日 1957年2月9日
愛称 カリオカ
少年時代リオからサンパウロに移り、20歳の時に当時読売FC(現東京ヴェルディ1969)でプレーしていたジョージ与那城にスカウトされる。1977年4月に来日し入団。
MFとして有名だが、本人によればブラジル時代はDFとしてプレイしていたと言う。
そして来日からしばらくはFWとしてプレイした。若くて気性も荒く、日本語もわからなかったため審判とトラブルを起こし、1年間の出場停止処分を受けた事もあった。
当時のニックネームは「エンピツ」。彼の細い肉体に着目してのものだった。その後「リオっ子(リオデジャネイロ生まれ)」を意味する「カリオカ」の愛称で親しまれる。
日本サッカーが低迷する時代、読売FC(現在の東京ヴェルディ1969)対日産自動車(現在の横浜F・マリノス)だけはラモスの活躍もあり注目の的であり続けた。敵チームながら木村和司らと不遇の時代を支え、Jリーグ開幕、W杯出場へと日本サッカー発展させた功労者の一人。当時を木村和司は「非常に汚い選手だった」と振り返る。
1989年に日本に帰化しサッカー日本代表に加わり、中心選手として活躍。
1993年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会アジア予選の日本代表に選出されるが、ブラジル流サッカーを信奉するラモスは、ヨーロッパ流のハンス・オフト監督批判をマスコミ上で展開し一時期更迭の危機もあった。
オフトとの和解後は代表のキーマンとして活躍するも、ドーハの悲劇を経験。
Jリーグの発足で、読売クラブからヴェルディ川崎になっても中心選手として黄金時代を支える活躍をしたが、1996年夏にヴェルディの監督に就任したエメルソン・レオンとは以前から確執があったことから京都パープルサンガに移籍する。
しかし、レオン退任後の1997年夏に古巣のヴェルディ川崎に復帰。
1998年11月に現役を一旦退く。
1999年8月には三浦知良や武田修宏、北澤豪などのヴェルディ・オールスターズとJリーグ選抜軍によるJリーグ初の公認引退試合が開催された。この試合の最後の挨拶でファンに向けて「生まれかわっても、日本に来てワールドカップへ出たい」と涙ながらに語ったのが印象的であった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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