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フリスト・ストイチコフ
Hristo Stoichkov
国籍 ブルガリア誕生日 1966年2月8日
愛称 イッツォ
少年時代は陸上選手として活躍し、100m走でブルガリアのチャンピオンになったこともある。
1976年に地元のサッカークラブ、マリツァ・プロフディフに入り、ヘブロス・ハルマンを経て1985年に国内最強のクラブであるCSKAソフィアに移籍。
1989年-1991年のシーズンには38得点を挙げ、ヨーロッパのリーグでの最多得点者に与えられるゴールデンブーツ賞を受賞した。
その後バルセロナに移籍、1991年-1992年のシーズンにはUEFAチャンピオンズカップの優勝に大きく貢献した。
また1992年のトヨタカップではサンパウロに敗れはしたものの、先制点となる20m弾丸シュートを決めた。
1994年にはバロンドールを受賞している。
現役時代終盤にはJリーグやアメリカMLSでプレー。なお、バロンドール受賞者唯一のJリーガーである。
2003年に引退。
2004年7月からはブルガリア代表の監督を務める。
1994年に開かれたアメリカ・ワールドカップでは、今まで5回出場しながら1勝もあげることのできなかったブルガリアをベスト4に導いた。
この大会ではベスト4を懸けたドイツ戦での試合を決めたフリーキックを含め6ゴールを挙げこの大会の得点王に輝いた。
国際Aマッチには83試合に出場し、37得点を挙げた。
スピードと力強さを兼ね備え、左足での正確なプレースキックなど高い技術を持ち左右どちらのサイドでもプレー出来、また得点力も抜群だった。
サッカー史上最高のウインガーの一人。
左足のつま先で軽くタッチしながら左半身で持ち、軽やかに抜いていくドリブルは分かっていても止められない事で有名だった。
また、「ブルガリアサッカー史上最高の選手」といわれるほど高い評価を得ている。
2004年3月にはペレが選ぶ『偉大なサッカー選手100人』にブルガリアから唯一選出された。
その一方で、気性の激しい性格から審判に執拗に食い下がって抗議する場面もしばしばみられ、CSKAソフィア時代には無期限出場停止処分を受けたこともある。
バルセロナにおいては、抗議の域を超えて審判の足を踏みつけ、2ヶ月間の出場停止処分を受けた。
またインタビューではよく大口を叩くことで知られ、物議を醸すこともあった。
バルセロナでキャリアのピークを迎えたためライバルのレアル・マドリーの事を嫌悪しており、マドリーに対する批判をたびたび公言している。(その為バルサファンからは引退した今でも人気がある)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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